4回転の挑戦と回避

私の大好きなアメリカのジェイソンブラウン選手は、4回転ジャンプを回避して美麗な演技を魅せてくれます。そして4回転ジャンプがなくとも、ある程度の高得点が望めるのだという指標を示していると私は理解しています。

一方、2010年のバンクーバーオリンピックでは、大ちゃんが4回転ジャンプを回避すれば金メダルに手が届くかもしれない状況の中で4回転に挑戦しましたが、結果は転倒してしまい銅メダルとなりました。

ジェイソンの4回転の回避は、ジャンプの転倒でプログラムの美しさを損ないたくないというポリシーからだと解釈しています。

そして大ちゃんの4回転ジャンプの挑戦は、フィギュアは競技であり、「逃げて勝ちたくない」という気持ちがあったのかなと私は解釈しています。

この二人の演技は4回転ジャンプの回避と挑戦という相反するところでありますが、何故、私はこのお二人に心を惹かれるのか…。

きっとフィギュア界のその時時の勝利への大きな流れに刃向かっているからだと思います。誰もが不要(だと思いがち)なものを削ぎ落として身軽な状態で「勝ち」に向かおうとする中、お二人はその手の平に絶対に失いたくないポリシーや信念をしっかりと握りしめながら、なお「勝ち」に向かっているからだと。

もちろん私はそもそもフィギュアスケートに美しい芸術性を求めて観ており、お二人にはそれがあります。

アップ可能なバンクーバーオリンピック高橋選手フリーの演技が見つかりませんでしたので、世界選手権2010の「道」を。↓

世界選手権2010 高橋大輔
世界選手権2019 ジェイソンブラウン

成功した4回転ジャンプの数でほぼ勝敗が決まってしまう今のフィギュアを、私はいつも悲しい気持ちで観ています。

たしかにフィギュアは競技であり、観戦する側に分かりやすくて圧倒的な達成感のある特に4回転ジャンプが成功すれば感動と感涙に値するものでしょう。

でもフィギュアの芸術性は、4回転ジャンプが失敗した時の逃げ道や保険でもなく、その選手の置かれているストーリーで表現されるものでもなく、努力で磨き上げたジャンプとともにスピン、ステップなどの全ての技術面を土台にした上に初めて成り立つ表現力の賜物であるように私は思います。

もしも今でもコンパルソリーがフィギュアの種目として残っていたら、今のパワーバランスは完全に引っくり返ってしまうかもしれないですね。議論するのも無意味な事も分かっておりますけどね…。
 
ジャンプひとつで、鍛練を重ねたスピンや他の技が吹き飛んでしまうような現在の得点配分が嘆かわしいですね。選手たちがこぞって高難度ジャンプの習得に躍起になるのは仕方ないと思いますが、本来フィギュアは技術と芸術の融合の競技であり、観る側も競技をする側もジャンプ以外の技をもしも軽んじるような事があるならば、もはや別の競技でもいいような気がしますし、寂しいですね。

女子も今や4回転時代に突入しそうな気配ですが、高難度ジャンプで勝敗が決まってしまいがちな今の採点が、選手たちを迷走させてしまうのでしょうか。

えみりん🎵

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