フィギュアの物差し

昨今のフィギュアというのは高難度ジャンプ偏重で、選手としてのピークがこれからだという年齢で舞台から消えていく、今のロシア女子が如実に今のフィギュアの現状をもの語っているように思います。

ジャンプか、表現か?アートスポーツとしてのフィギュアの未来(一部抜粋)

https://news.yahoo.co.jp/articles/e3c59a1a8dab3d881f29f7aaecf10e7e145c43ef?tokyo2020

近年、フィギュアスケート界に起きた変化に、ジャンプの高難度化がある。

年齢を重ねることで経験を積み、それが表現にいかされていくのがフィギュアスケートだが、その機会を得ないまま引退していく選手も出てくる。すると「アートスポーツ」でもあるフィギュアスケートそのものの魅力も失われていくのではないか、という声が出るようになった。

競技である以上、高い技術を追求する、つまりはより難度の高いジャンプを追い求めるのは自然ではある。ただ、現在の女子の状況は、フィギュアスケートをフィギュアスケートたらしめている要素を打ち消しかねない・・・どうあるべきか、容易に答えは見出せない。

ジャッジも世の中も、当然のように高難度ジャンプだけをフィギュアスケートの物差しにしていて、

たとえ選手がどんなにジャンプ以外の技術や表現の部分を大事にしたいと思っても、高難度ジャンプ重視のジャッジと世の中の目が、目立つ4回転にばかりにいってしまう中で、

跳べる4回転の種類が少ないという時点で試合に出る前から既に勝負に負けていて、

多種類の4回転をミスなく跳ぶという同じ土俵の上に上がった上でなければ、芸術面での差をジャッジや世の中に示す事はできないのかなと私は今まで考えてきました。

既視感のない大ちゃんの演技

そしてシングルでそれができるのは、両輪(技術と芸術)を兼ね備えたネイサンか昌磨、最近であれば、鍵山優真選手かな?と思っています。

女子ならば紀平選手と樋口選手。宮原選手にも頑張ってほしいです。

成功した高難度ジャンプの数で勝敗が決まってしまうのは、もはやフィギュアの意味が半分無視されてしまっていて、せめて勝敗が決まったとしても「優劣」では決してないと断じて思います。

「いかに真っ白になれるか?」高橋大輔はいつ何時、誰の色にも染まれる天才的な表現者(一部抜粋)

https://news.yahoo.co.jp/articles/49b7f5c30f51345a78db4fc0039c7faa86b1a7d8

氷上での感覚と表現について、高橋は「自分を出し過ぎると、全て同じ『僕』になってしまう。振付師さんにつくってもらった世界観に乗っかり、自分は周りからどう感じられているかを考え、それを出す」とのポリシーを口にした。つまり、彼の決定的な才能は「いかに真っ白になれるか?」ということだ。キャンパスを〝自分色〟に染めるのではなく、むしろ自身は受け身に徹し、あらゆる役になりきる。

そしてジャンプがそもそもないアイスダンス。

フィギュアの物差しである4回転ジャンプそのものがないアイスダンスに転向した大ちゃんのスケートを見て、

そもそも4回転しか見ていない世の中が、アイスダンスのリフト、ステップ、ツイズルなどの技術の優劣などを吟味するとは考えにくく、

ジャンプのないアイスダンスを観戦するにあたり、もの申すにあたり、ジャンプにだけ目を向けていた人たちが、そもそもジャンプのないのが前提のアイスダンスの演技を観比べた時、その演技から目のそらしどころがなくなり、ようやく演技そのものを比較し始めるのか。

えみりん🎵

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