今こそ氷上の表現者
先日のNHKの「氷上の表現者」再放送をようやく今日、見る事ができました。
最近は私の中で完全に高橋大輔=アイスダンサーでしたので、久しぶりに大ちゃんを1人の表現者として演技を観たような気がします。
それにしても十二分に知っていましたが、大ちゃんの唯一無二な表現力を改めて再認識しました。
高橋大輔を語る時に様々な人に「表現力」という言葉を百万回使われてきた大ちゃんですので、最近は、なんとなく「表現力」という言葉が擦り切れてしまったように勝手に感じてしまい、
あまり大ちゃんを語る時に「表現力」という言葉を使いたくなかったのですが、いやいや、じゃあ他の誰にこの言葉を使うのか?という気持ちに至りましたね、今日は。
私が大ちゃんの演技に夢中になったのはバンクーバーの年だったと思います。
もう本能のところで大ちゃんの演技にやられてしまいましたね。
まず感じたのは、洗練されていて垢抜けた表現力と、他の誰とも違う既視感のなさ。
なんと言うか、振付をろ過して大ちゃん自身の演技にしてしまっていて「こういう振付です」感を全く感じないし、更に言うなら、振付を当に越して音を表現する上で、大ちゃん独特の余裕というか余白があると言うか…。
私は演技を観ている時に、振付師の振付を感じてしまうとなんとなく興冷めしてしまうんですよね。
大ちゃんの演技にはそれがない。
振付をきっちりこなしてます、ジャンプを消化してます、というのを私は感じたくないんです。
けど、大ちゃんにはそれを感じない。
「振付をきっちり」じゃなくて、大ちゃん独特の余白や余裕のある演技。
洒落ているんですよね、大ちゃんの演技は。
洒落ていて余裕があって、それが品とか風格を醸し出すような。
音を体現する能力が突出しているんだと思います。
NHKの再放送を改めて見ると(というか以前から感じていたけど)、私の中では特に、怪我の後の進歩が目を見張ります。
もしくはトリノでの自身のガラスのハートを経験した事も大きいのか…。その両方か…。
バンクーバーから始まる5シーズンのプログラムの秀逸さ。特にバンクーバーからの3シーズンは本当に際立っていると感じます。
ショート、フリーともにパーフェクトに揃っていますよね。
eye 道
マンボ ピアソラ
VAS ブルース
月光 道化師
ソナチネ ビートルズ
でもブルースの翌年からは、私の中では本来の高橋大輔ではなくなっていたんですよね。
エンタメ界にステージを移した今、
ジャンプのミスでスケーターの価値の判断を下されない、あくまでもジャンプが振付の1つに過ぎない真のスケーターの価値が試される今、
どうしても、もう一度大ちゃんに滑って欲しいプログラムがあります。
ビートルズとPGGとフェニックスです。
この3つは私の中で、どうにもこうにも消化不良のままなんですよね。
かなだいが引退して納得はしたはずなんですが、やはり今だに黒柳徹子さんではないですが「大ちゃんが試合に出ないとつまらないな」と感じてしまいます。
えみりん🎶