昌磨自身が気に入る演技と観客が心を打たれる演技

「自分が好きだと思えるプログラムには、まだ出会えてない」と昌磨が語ったネットニュースが流れ、数日経ってしまいましたが、

まず思うのは、昌磨自身が好きだと感じるプログラムと、観客の胸を打つプログラムは必ずしも一致しないという事ですよね。

「自分が好きだと思えるプログラムには、まだ出会えてない…」”シン・宇野昌磨”が語った「現在地」(一部抜粋)

https://news.yahoo.co.jp/articles/940c8448514ddc44a1a036f99862021ae81eeeb4

「自分のやりたいことが一つ成し遂げられたからこそ、過去に僕がもう一つ成し遂げたかったこと『表現者として自分の魅力は何か』を、自信を持って言えるスケーターになりたい」

確固たる「実績」を残したいま、宇野もまた自身の代名詞となるプログラムをつくり上げようと模索しているのだ。

「結果を出してトップで戦いたい。競技スポーツをやっている以上、より点数をもらえることを優先させるのは必要なこと」

昨季の宇野はフリーに4種類計5度の4回転ジャンプを組み込んだ高難度だが点が取れる構成を演じ抜いた。グランプリ・ファイナル初優勝を含め、シーズンでは全勝。世界王者としての矜持を示した形だ。

「難しい年ではあったと思うんですけれども、その中でも自分がやるべきことを正確に見極めてしっかりできたかなと思います。やることを全てやれたな、というシーズンでした」(宇野)

「やることはやれた」シーズンではあったが、自身の滑りには思うところもあった。その気持ちが世界選手権優勝直後の囲み取材で溢れた。 「僕がスケートをやってきた上で求めているのは、結果以上に自分の演技を見返した時にいいなって思えること。

この2年間、ジャンプは本当に上手くなりましたけど、スケーターとしてどうかと言えば、あまりいいとは思えない」 世界選手権前に見返した「ある映像」がこの発言の背景にあったのだ。

「GPファイナルの映像を見た時に、本当に『ジャンプだけだな』と思ってしまった。プログラムとして最低限やってるし、より効率的に体力を消耗しないように滑っているっていうのは、すごくいいことだとは思う。

でも、『僕はこれがやりたかったのかな』っていうのも正直、見ながら感じるものがあった。(自分が)『もう1回見たい』とは思わない演技だった」

厳しい自己評価にも聞こえるが、それが宇野の偽らざる本音なのだろう。

『トゥーランドット』『月光』『冬』『ボレロ』そして、今季の『G線上のアリア』。
フィギュアの王道とも言える演目を見事に演じてきた宇野だが、こう断言している。

自分が好きだと思えるプログラムにまだ出会えていない。プログラム自体が悪いのではなくて、僕にとって好きか好きじゃないかは、自分で『見たい』と思えるプログラムに完成させられたか。

過去のプログラムで、それはまだ1度もない」

宇野の理想像は、幼少期から憧れ続けてきた高橋大輔(37)だ。2010年のバンクーバー五輪では道化師を演じたフリー『道』で日本男子初の五輪銅メダリストに輝いている。

ファンのみならず自身の心も揺さぶられるような滑りを求め、宇野はこう決意をにじませる。

「『表現』をずっとジャンプの二の次にしてきた。ジャンプのつなぎとして。ジャンプはこれからも頑張りたいと思ってますけど、表現というものもいい加減、ちょっと手を加えたい」

以前から、このブログでも何度となくこの件について書いてきましたが、

ジュニアの頃の昌磨といえば、プログラムを手も足も自由に使いながら踊って滑っていたように思いますが、シニアに上がってからというもの、本来の昌磨が封印されているような、なにか制限がかかっているように私には見えて仕方ありませんでした。

それでもシニアに上がって間もない頃から昌磨の演技は間違いなく私の胸を打つものであった一方で、私はまずは高橋大輔ファンなので、昌磨にも表現に重点を置いた演技を求めてきました。

ジュニアの頃に高橋大輔に憧れた時点で、昌磨が目指す演技は、第一に得点を狙うジャンプ重視の演技ではなく、人の記憶に残る演技だったに違いありません。

それでも4回転なしでは勝てない今のフィギュアの中で、ジャンプ重視のプログラムを受け入れ、全身全霊で演じてきた昌磨には、相応の戦略が根底にしっかりとあって納得して自覚して全身全霊で戦ってきたのではないでしょうか。

昌磨の演技は「全身全霊」という言葉が誰よりも相応しいと感じます。

その戦略というのが、まさに昨季世界選手権後のインタビューで答えていたこと。

まずは高難度ジャンプでトップに入り、世の中が自分に関心と注目をしている上で、表現面での差をジャッジや世の中に見せていかなければ、現実に表現力の違いや素晴らしさ、重要性に気づいてもらえない、という事。

技術と芸術の両輪が揃った演技。
採点が片方に偏らないフィギュアである事。
それが昌磨の理想のフィギュアなのかなと…。

制限された時間の中で多くの高難度を含むジャンプを複数回消化しなければ勝てない今のフィギュアでは、ジャンプの間に表現面にも気を配るのは本当に至難の技だと思います。

そんな中でも最近は、高難度構成のプログラムが体に馴染んだ事で余裕が生まれ、昌磨の世界感をより強く感じられるようになりました。

が、これは本当にあくまでも私の勝手な意見ですけれども、それでも未だに昌磨のパフォーマンスとバチン!と重なり合うプログラムと、いまだ昌磨は出会っていないような気がしていました。

そんな中でネットに上がった記事でしたので、私はすぐにかぶりつきましたね(笑)

昌磨はやっぱり昌磨だったなと…。

かつて「踊れる男子を育てたい」と言っていた歌子先生と大ちゃんが出会い、モロゾフの振付によって大ちゃんの踊る才能が更に引き出され、モロゾフの振付で踊る大ちゃんを見た有能な振付師たちが大ちゃんに渾身の振付を提供し、見事な化学反応が世界の観客に披露され、称賛の渦を巻き起こしました。

昌磨の才能を更に引き出す振付師は誰なのか?
私の狭い知識の中でまず思いつくのは、やっぱりパスカーレ・カメレンゴ氏なんですよね。

本当に昌磨がシニアに上がってから、ず〜っと、ず〜っと、もう本当にず〜っと願って参りました。

なんとか一度、昌磨とパスカーレ・カメレンゴ氏との化学反応を、本当に腹の底から観てみたい。

ずっとジャンプのつなぎとしてきた表現面を演技の中心部分に据え、ジャンプは高難度でありながらも振付の1つに過ぎず、ジャンプがあくまでもプログラムのアクセントであるような演技。

そんな昌磨の演技を観てみたい。

えみりん🎶

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